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新着情報 2020年10月14日
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- 淡い青磁釉がとろりとかかった景色が魅力の百田暁生さんの作品。ぐい呑や茶碗、カップならその独特の景色をただ眺めて楽しめますが、皿の場合、むしろ料理を盛ってこそ、この景色を楽しめると言えるでしょう。そこで「青白磁掛分7寸皿」と「青白磁7寸皿」の盛りつけ例をご紹介します。「青白磁掛分7寸皿」は中央のくぼんだ白磁部分を目安に盛ると効果的。「青白磁7寸皿」はみずみずしい果物を盛るのがおすすめですよ。
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400年以上の歴史を持つ有田焼
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- 佐賀県有田町は、400年以上続く磁器産地として知られています。その発端は安土・桃山時代にまでさかのぼります。文禄・慶長の役(豊臣秀吉による朝鮮半島出兵)の際、他の諸大名と同様に、佐賀藩鍋島家が朝鮮半島から多くの陶工を連れて帰りました。そのうちの1人である李参平とその一族が有田町の内山地区に移り、泉山で磁器の原料となる良質な陶石を発見。1616年、日本で初めて磁器の焼成に成功しました。その後も佐賀藩鍋島家による産業保護と奨励、また欧州への輸出が盛んとなり、有田焼はさまざまな技術革新を経て発展していきます。こうして有田町は日本有数の磁器産地として栄えました。
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2人の師匠から学んだロクロの技術
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- 有田焼の陶芸家の中でも高い人気を誇る実力派の1人、百田暁生さんの作品は、まず器の形に異彩・超絶な技の冴えを見ることができます。ロクロ成形された器は整ったプロポーションで、生地が薄く、見る者にモダンな印象を与えます。それもそのはず、この技は有田焼の振興を支えてきた名工たちから脈々と受け継いだものだったからです。
そもそも有田焼の作家系譜をたどると、有田焼で初めて無形文化財保持者に指定されたロクロ師、初代奥川忠右エ門さんに行き着きます。彼は弟子の育成にも優れ、井上萬二さんや中村清六さんら重要無形文化財保持者を育てました。その最後の弟子が彼の婿養子であり、「現代の名工」に表彰された奥川俊右エ門さんで、百田さんの師匠でした。百田さんは最初に陶芸家の副島四郎さんに師事し、その後、奥川俊右エ門さんにも師事してロクロの技を身につけました。「副島先生からは大胆なロクロの回し方を、奥川先生からは緻密で繊細なロクロの回し方を学びました。2人の先生に就いたことが結果的に良かったと思っています」と百田さん。 -
釉薬を絵具のように扱い、抽象模様を描く
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- もう1つ、百田さんの作品の特徴はとろりとかかった釉薬。釉薬とは、本来、素焼きした生地の表面全体にかけて強度を増し、水漏れを防ぎ、さらに光沢を与えるものですが、百田さんは釉薬を絵具のように扱い、模様をつけているのです。淡い青磁釉を中心に、瑠璃釉、辰砂釉、漆黒釉などを用いて、掛け回し、重ね塗り、投げ塗り、ぼかし、削り取りなどを巧みに施し、抽象模様を表現します。「例えば投げ塗りは、空中で絵を描くようなイメージ。自分の想像どおりに釉薬が流れるように導いたり、削り取ったりし、釉薬の発色と流れ方をコントロールしています。だから偶然性に任せているように見えて、偶然の美はまったくありません」と百田さん。ここにも異彩・超絶の技が見られます。
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造形と施釉とを融合させた作品作り
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- つまり端正で凛とした形でありながら温かさや柔らかさを感じるのは、造形と施釉とが絶妙なハーモニーを奏でているからなのです。しかし百田さんはこう言います。「あくまでも形ありきの作品と考えているので、色が主役になり過ぎないようにしたいと思っています。その点、青磁釉はあまり主張しない色なので作品作りの原点となり、根幹となりました。主張しないのに見れば見るほど深い色に映るから不思議です。いつのまにか、自然と選んでいた色でした」。形を極め、追求する一方で、釉薬を勉強し、新たな発色に挑む。百田さんの作品は、こうして進化を続けています。
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百田さんの世界観が楽しめる1点物の酒器
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- 今回、百田さんの作品世界を存分に味わってもらうため、1点物のぐい呑をたくさん取り揃えました。ぐい呑は小さいながら、百田さんがいろいろな形に挑むのに最適な器。毎日、百田さん自身も晩酌をして、口当たりや手に持った時の感触、サイズ感などの使い心地を確認しているそうです。時には妻にも使ってもらい、女性の手で持った際の使い心地を尋ねると言います。「私はぐい呑を比較的小さめに作ります。なぜならお酒が好きな人は、ぐい呑にお酒を注ぐ行為も好きではないかと思うので、注ぐ回数があえて増えるようにしているからです」と百田さんは独自の見解を述べます。そんなお酒好きの視点も加わった究極の形が、これらのぐい呑なのです。
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子どもの頃から焼物をたくさん見て育つ
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- 百田さんの先祖は、有田焼の歴史を担ってきた佐賀藩鍋島家の御用窯の1つだったと言います。工房の一角には、江戸時代末期に先祖が作ったとされる作品が大事に飾られています。現在、百田さんの実家は有田町で焼物を扱う商社を営んでおり、百田さんも子どもの頃からたくさんの焼物に囲まれて育ちました。百田さんの焼物に対する目は、こうして磨かれていったのです。若い頃に東京で一度就職したものの、数年後には有田町へ戻り、焼物に携わる仕事に就こうと決意。そこで父の勧めで陶芸家の副島四郎さんに弟子入りしたことから、陶芸への道を開きました。現在、モダンな建築の工房兼ギャラリー「in blue 暁」を有田町に構え、作陶のかたわら、お客様をもてなしています。
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意と匠研究所がサポート
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- 意と匠研究所は、これまでも、これからも挑戦を続ける百田さんを応援していきます。ここでご紹介する製品の売り上げの20%をいただき、百田さんの活動や製品について取材や原稿執筆、写真撮影、編集などを丁寧に行い、また新規開発に対してもアドバイスを適宜行っていきます。
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